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聖歌は生歌

聖歌は生歌

主の受難の祭儀

聖金曜日と聖土曜日は、主の受難と死をしのぶ日として、ミサはありません。この日、聖金曜日には、ミサではなく
主の受難の祭儀が行われます。この祭儀は、司牧的理由から遅くするない限り、なるべく午後三時ごろ行うことが勧
められています。祭壇には、何も飾らず、十字架、ろうそく、祭壇布、いずれも使いません。
 司祭(司教・助祭も)赤の祭服を着て、沈黙のうちに入堂し、入祭の歌は歌いません。祭壇の前で、ひれ伏すかひ
ざまずき、沈黙のうちに祈った後、司祭は、祈りへの招きを行わず、祈願を唱えます。その際、普段のミサと同じ、基
音F(ファ)で行います。その後、ミサと同じように、ことばの典礼に入り、第一朗読のイザヤの預言の後に、答唱詩編
が歌われます。

【ことばの典礼】
《答唱詩編》
 【解説】
 聖金曜日の答唱詩編は、詩編31を歌う、145 父よ あなたこそわたしの神 が歌われます。この、詩編31は、
個人的な嘆願(嘆き)の詩編ですが、感謝、信頼、賛美、信仰告白も加わった美しい表現に満ちています。さし迫った
危険(重い病気か?)から救いを求める(2-9節)作者は、敵ばかりか親しかった友からも迫害され(10-14節)、
そのような状況からの救いを求めますが(15-19節)、最後は、神による救いに感謝して、その恵みをたたえます
(20-25節)。詩編の6節=詩編唱の1節の3小節目のことばは、主が十字架の上で死ぬ前に唱えたものです。
答唱句は、「神よ あなたの顔の光を」や「主はゆたかなあがないに満ち」と同じく、詩編唱と同じように歌われるもの
です。前半の信仰告白と、後半の信頼を込めた決意が、特に、バスのD(レ)の持続音で力強く表されています。
 詩編唱は、最高音のA(ラ)から始まり、前半(1・2小節)、後半(3・4小節)ともに、音階の順次進行で下降しなが
ら歌われ、詩編の内容を、一層深く味わう助けとなっています。
 この、答唱句の旋律は、当初『典礼聖歌(分冊第二集)』で、ハバクク3:2を歌詞とした、「みことばを聞いてわたし
はおそれ、主のわざを眺めておののいた」で、まだ伴奏がなく旋律だけでした。唱和(唱句)の部分は、父よ あなた
こそわたしの神の詩編唱の、1-2小節と同じ音で歌われていました。聖金曜日の旧約聖書朗読後の間唱でした
が、典礼の刷新によって、答唱詩編が変更されたことから、『典礼聖歌』では、旋律を継続して新たな答唱詩編として
再生されました。
 (歌詞の、黒はD(レ)、茶色はE(ミ)、緑はF(ファ)です)
 【祈りの注意】
 上にも書いたように、答唱句も、詩編唱と同じように、全音符はすべて、八分音符で歌います。途中、字間のあいて
いるのは、楽譜制作上の理由(詩編唱と答唱句の楽譜の長さをあわせるため)によるものですから、そこで、息継ぎ
をしたり、音をのばしたり、間をおいたりしてはいけません。
 ちちよあなたこそわたしのかみー*|わたしのすべてをあなたにー*
 上記の、太字のところは、自由リズムのテージス=(1拍目)です(*は八分休符)。
 詩編唱の冒頭は、きびきびと歌い始めましょう。信仰告白のことばなので、ていねいに、と思い、だらだら歌うと、こ
とばが生かされません。 rit. は2小節目にだけありますが、1小節目の最後も、やや rit. するのはもちろんです。1小
節目の最後で、やや rit. したあと、2小節目の始めは、テンポを戻(あるいは小戻し)して始めます。そして、2小節目
の最後は、さらにていねいに rit. して終わります。『今日の聖歌』でも再三指摘していますが、多くの答唱句は、最終
回で、特に、ていねいに rit. するとことばが生かされますが、この 父よ あなたこそわたしの神 も例外ではありま
せん。また、全体のテンポもゆっくり目にしましょう。
 音の強さは、全体に P ですが、最終回は、PP にすると、緊張感が増してきます。その、緊張感を表すように、「ち
ちよ」の最初の「ち」は無声音(音符の●のところが×になっているもの)で歌います。二回ある「わたし」の「し」も同
様に無声音にしますし、「こそ」「すべて」の子音「S」を強くはっきりと発音するとよいでしょう。
 答唱句のことばは、この日の、第一朗読の答唱句であり、また、詩編への答唱(詩編の各節に対して、信仰告白を
してゆきます)であり、受難朗読で語られる、十字架上のキリストの信仰告白とも重なるものです。決して、だらだらと
緊張感のない歌い方にならないようにしましょう。
 詩編唱は、答唱句と同じように、第一朗読を黙想するものであり、受難朗読で語られる、十字架上の主の姿を預言
するものです。この日は、福音朗読ではなく受難朗読であり、ミサではなく受難を記念する(アナムネーシス)する主
の受難の祭儀です。しかし、ミサがそうであるように、キリストの過越は受難で終わるものではなく、復活の栄光へと
続くことをわたしたちは知っています。これは、詩編唱の4節でも明らかです。詩編を歌う方は、この詩編をよく黙想し
てください。そして、復活の栄光へと過ぎ越された主キリストに結ばれた洗礼と、これからのわたしたちの過越を思い
ながら、この詩編を味わい深いものにしていただきたいと思います。詩編唱は、答唱に比べて、かなり力強く、とりわ
け、詩編唱の4節は、しっかりと歌ってください。
 なお、詩編唱の次の部分(、のところ)は、息継ぎをしたほうが、ことばがよく生かされるのではないでしょうか?そ
の場合、「、」の少し前で rit. して、「、」の八分音符の音価の中から、音をもらって、瞬時に息継ぎをし、「、」の後は
再びテンポを戻して歌い始めます。
 1節の1小節目=「とこしえに恥を負わせず、正義によって救ってください」
     4小節目=「神よわたしの神よ、わたしをあがなってください」
 2節の1小節目=「敵はみなわたしをあざけり、回りの人はわたしをのけものにする」
     2小節目=「親しい友はわたしを恐れ、会う人はわたしを避けて背を向ける」
 4節の2小節目=「神は誠実に生きる人を守られ、思い上がるものに厳しい」
 3節の2小節目と4節の3小節目は、他に比べてことばが少ないので、やや、ゆっくり目に歌います。
【オルガン】
 答唱句は、全体に P ですから、オルガンもフルート系の8’だけでよいでしょう。答唱句をシュヴェル(Swell)で弾
き、詩編先唱者の声量によっては、詩編唱を主鍵盤で弾くという、普段の答唱句とは反対の方法が効果を上げるか
もしれません。いずれにしても、この答唱詩編にふさわしい、緊張感のある伴奏を心がけてください。
 
《詠唱》
 この日の詠唱は、受難の主日と同じく、317 キリストは人間の姿で が歌われます。

【盛式共同祈願】

【十字架の崇敬】
 盛式共同祈願が終わると、十字架の崇敬(礼拝)が行なわれます。最初の、十字架の顕示には二つの形式があ
り、

 祭壇の前で、布で覆った十字架を受け取り、覆いを、上部、右腕、すべてと徐々に取り、十字架を高く捧持
して、招詞を歌う方法
 聖堂入り口で、覆いのない十字架を受け取り、聖堂入り口、聖堂中央、祭壇前で十字架を高く捧持して、招
詞を歌う方法

です。いずれの場合も、十字架を捧持する司祭の両脇に、ろうそくを持った奉仕者が付き添います。このとき、歌われ
るのが、331 見よキリストの十字架ですが、司祭がこの招詞を歌う際、奉仕者か聖歌隊(先唱者)が、司祭の招
詞を助けて、一緒に歌います。この、招詞は三回歌われますが、冒頭の「見よ」の、楽譜ではF(ファ)-D(レ)の音
を、1回目 Es(ミ♭)-C(ド) ⇒ 2回目 F(ファ)-D(レ) ⇒ 3回目 G(ソ)-E(ミ) の順に、音を高
めてゆきます。こうすると、最後の「たたえよう」の「う」がG(ソ)となり、旋律が、そのまま、続く、332 十字架賛歌
(クルーチェム・トゥアム)の「主」のG(ソ)に続くようになります。
 ところで、招詞 331 見よキリストの十字架は、前半、司祭の歌う部分はグレゴリオ聖歌のそれである、Ecce
lingum Crucis と同じような音の動きとなっていて、どちらも、楽譜上の冒頭と最後の音がF(ファ)であることも共通し
ています。また、司祭の歌う部分の最後の音が、会衆の応唱の最後の音より2度(1音)高いところも同じ構成です。
全体の音の動きは、日本語のイントネーションにあわせていますが、「ラテン典礼の伝統的旋律が国語文のための
旋律を暗示できるかどうかを考慮すべきである」という「典礼音楽に関する指針」の56項を尊重して作曲されているこ
とは明らかです。招詞の「世の救い」と応唱の「あがめ」がA(ラ)で、最高音であるとともに、ことばを強調しています。
また、楽譜の音では、下から、D(レ)-F(ファ)-G(ソ)-A(ラ)ですが、これは、A(ラ)を除くと、ミサの式次第の旋
律の音の下のテトラコルドであり、そこに、強調の音としてA(ラ)を加えていると言えるでしょう。
 司祭と奉仕者は招詞を堂々と歌い始めてください。世の救いとなった、キリストの十字架を、すべての人に「仰ぎ見
よ」と呼びかける力強さがほしいものです。それに応唱する、会衆は、「ともに」を少し早めに歌い始めましょう。このと
き、「ともに」の前の八分休符を生かして、この「と」のアルシスをしっかり飛躍させることが、応唱を活き活きさせるコ
ツです。これは、招詞の冒頭、「見よ」の前にも言えることです。短い応唱ですが、すべてのキリスト者と「ともにあが
める」気持ちを込めたいものです。冒頭はきびきびと歌い始めますが、最後は、ていねいに治めます。「あがめ」あた
りから、rit. するとよいでしょうか。3回目の応唱は、特に、ていねいに治めるようにしましょう。
 なお、各応唱のあと、全員、十字架のほうを向いて深く頭を下げて、しばらく沈黙のうちに祈りますので、司祭と奉
仕者は、この、沈黙を十分に生かしてから、2回目、3回目の招詞を歌い始めるようにしましょう。

 十字架の顕示が終わると、司祭は十字架を、奉仕者はろうそくを、会衆から見えるところに置きます。その後、司式
者、教役者、会衆の順に、十字架を礼拝します。このときに歌われるのが、以下の5曲です。

332 十字架賛歌(クルーチェム・トゥアム) 
333 とがめの交唱(インプロペリウム) 
334 ハギオス・ホ・テオス 
335 とがめの交唱(2) (インプロペリウム) 
336 十字架賛歌(2) (クルクス・フィデーリス) 

 これらの歌詞は、すべて、ラテン語の規範版=グレゴリオ聖歌の歌詞から、そのまま訳されています。ところで、こ
れらをすべて歌うと、おそらく、ほとんどの共同体では、行列のほうが早く終わってしまい。聖歌だけが延々と続くこと
になってしまうのではないでしょうか。実は、これらは、大修道院や司教座大聖堂などにおける典礼を前提にしている
ので、数多くの人が、長い行列をして十字架を礼拝することを前提に作られているのです。ですから、日本の普通の
小教区のように、参加者が100人になるかならないかのような所では、行列にあわせて、不必要なものを省く必要
があります。ラテン語=グレゴリオ聖歌の場合も、まず、335 とがめの交唱(2) (インプロペリウム)は、行列
が長い場合に、自由に付ける(ad lib.)ですから、ほとんどの場合、歌う必要はないでしょう。
 反対に、必ず歌わなければならないものがあります。それは、332 十字架賛歌(クルーチェム・トゥアム) と
 333 とがめの交唱(インプロペリウム) 334 ハギオス・ホ・テオス それに 336 十字架賛歌(2) 
(クルクス・フィデーリス)の1と10です。それでも、長すぎる場合があるかもしれませんが、その場合にも、必ず、
十字架を賛美する部分(あるいは聖歌)を歌うようにします。なぜならば、パウロが言うように、十字架の言葉は信じ
るものにとっては神の力であり(1コリント1:18参照)、この、十字架を通して、キリストが復活されたことを、わたし
たちは知っているからです。

 さて、司式者の十字架の礼拝が始まると、332 十字架賛歌(クルーチェム・トゥアム) を歌い始めます。この
曲は、♯も♭もない、いわゆるハ長調の音階で書かれていますが、最後は、五の和音である、G(ソ)-H(シ)-D
(レ)で終わっています。不安定な半終止と言えるかもしれませんが、100~103の「しあわせな人」と同じで、高田
の教会旋法と言えるでしょう。
 旋律はもちろんですが、その他の声部でも、一切、臨時記号は用いられず、シンプルな構成になっていますが、そ
れが、かえって、賛美の祈りを高める効果を出しています。この賛歌では、先の、招詞とともに、A(ラ)の音が、キー
の音となります。4分の5拍子になった「あがめとうとみ」、「その復活をたたえよう」、「この木によって」(=十字架)、
「あまねく世界に」など、重要なことばで、旋律にA(ラ)が用いられています。この十字架賛歌(クルーチェム・トゥ
アム)の中心は、なんと言っても、その(主の)復活です。旋律でも、「その復活を」は最高音であるとともに、ミサの
式次第では用いられていないH(シ)によって、意識され強調されています。和音も三の七(下から、E(ミ)-G(ソ)
-H(シ)-D(レ)、G(ソ)は赤字の部分では省略)と、主和音からは一番遠い和音が使われており、G(ソ)を省略す
ることで、「雅楽的な響き」を醸し出しています。
 先唱句では、詩編67:2をもとにした一節が歌われます。ここでも、A(ラ)が最初の「かみ」の出だしの音であるとと
もに、前半の終わりで「わたしたちに」の部分で用いられます。後半は、交唱の最後と同じ和音で終わりますが、こち
らでは、第五音であるD(レ)が省略され、音の位置でも、交唱の冒頭に戻る構成になっています。
 332 は、その名のとおり、十字架をたたえる賛歌ですから、冒頭は、きびきびと歌い始めましょう。前半の重要な
ことばとなる、「たたえよう」では、少し、rit. しますが、「見よ」からは、冒頭と同じ速さに戻して歌います。交唱の最
後の「喜びが来た」も rit. しますが、ここは、主の十字架と復活による、大きな喜びにふさわしい仕方で、荘厳に、お
さめるようにしたいものです。ただ、通常ですと、二回目には、一回目より、かなり rit. を大きくしますが、ここでは、
すぐに(といっても、全く、間がないわけではありません)、次の 333 とがめの交唱(インプロペリウム)に続きま
すので、あまり、大きく rit. しないほうがよいかもしれません。まだ、この先に続く、緊張感が残る程度の rit. にした
いところです。
 「*その復活」、「*見よ」の「*」であらわした八分音符は、次の「その」「見よ」のアルシスを生かすものですから、
きちんと、休符としてください。ちなみに、この八分音符になっているところは、伴奏の和音は、その前のことばの「と
うとみ」、「たたえよう」が続いています。
 詩編67:2から取られた部分が歌われる先唱句は、一人ないし、数人の先唱者が歌います。ユダヤ教以来の伝統
として、詩編の一節を歌うことは、その詩編全体を祈ることです。この詩編67は、イスラエルへの祝福を求める祈りか
ら、全人類への祝福を願う祈りへと発展しており、民数記6:24-26にある、アロンの祝福の式文を言い換えたもの
です。キリストの十字架とその復活は、時代と場所を超えた、すべての人の救いであり、「神は、すべての人が救わ
れて真理を知るようになることを望んでおられる」(1テモテ2:4)ことを、わたしたちはこの賛歌でたたえ、宣言する
のです。

 332 十字架賛歌(クルーチェム・トゥアム) が終わると、歌詞の内容が一転した 333 とがめの交唱(イ
ンプロペリウム) が歌われます。332 十字架賛歌(クルーチェム・トゥアム) がC-dur(ハ長調)に近い、G
(ソ)で終止する高田の教会旋法だったのに対し、333 とがめの交唱(インプロペリウム) は主和音がその3度
下のE(ミ)-G(ソ)-H(シ)の旋法によっています。この和音は、いわゆる、e-moll(ホ短調)の主和音と同じです
が、e-moll(ホ短調)であれば調号が1♯なのですが、ここでは、調号が用いられていませんから、やはり、高田の
教会旋法の一つと言うことができるでしょう。
 


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